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<熱帯林と自然保護>

なぜ自然を保護をしなければならないかと問う人には、次のような質問をしてみましょう。
” なぜ自然を破壊してもいいのか? ”
この人はこう答えるかもしれません。
” 人間が経済的に豊かになるため、貧困を撲滅するため、そして人々が幸せになるためだ。 ”
それならばこの人は次のような考え方を持っていることになります。
” 人間が幸せになるためならばどんな自然破壊をしてもよい。 ”
ここで反論があるかもしれません。
” どんな自然破壊でもいいとは言っていない。 ”
それならばもう一度質問してみましょう。
” 貧困が撲滅され人間が幸せになれるのに、してはいけない自然破壊とはどんな自然破壊なのか? ”
ここでこの人が答えられるならば、この人は自然保護論者になる可能性があります。

自然保護といっても程度問題があり、この人がその程度を明確に認識している以上、その程度を超える自然破壊を容認していないからです。
それでは、人間が幸せになるためであるならばどんなに自然を破壊してもよい、と考えている人にはなんと言えばいいのでしょうか? もしこの人が本気でそのように考えているならば、議論はそれで終わりです。 残念ながらこの人を説得することはできません。それがこの人の信念であり価値観なのですから。

しかしある人が人間が幸せになるためには自然破壊をしてもよいという確固たる信念を持っているからといって、この人が自然破壊を行使する権限や資格を持っていることにはなりません。 悪いやつは殺してもよいという信念を持った人が、悪いやつ(その多くがこの人個人の主観による)を殺していい権限を持っていないのと同じことです。
自然保護は人間による破壊から自然を守ることです。 従って自然保護活動の実際は、破壊しようとする人の行動を妨害することに他なりません。 これは人間の行動を別の人間が規制することですから、何らかの社会的合意が必要になります。 この合意は政治的プロセスでは民主主義による意思決定にゆだねられます。 従って人間の幸せのための無制限の自然破壊を主張する人は、民主主義のプロセスにのっとって公の場でその主張をしなければなりません。 そしてなるべく多くの人の賛同を得て、人間の幸せを目的とした無制限の自然破壊を実行することになるでしょう。
自然保護活動も個人のボランティア活動を除けば、人間の社会活動の一つと言う性格を持ちます。 特に行政が関与するような比較的規模の大きい社会活動では、民主主義的な手続きを経て多くの人の承認を得たものでなければなりません。 自然保護の必要性を唱える人は、その内容をあらゆるメディアを駆使して公然と主張し続け、多くの人の賛同を得る努力を惜しんではなりません。